インド:ティーオークションの歴史
インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリ紅茶のブログ。
本日は、連載中の「コルカタ・ティーオークション レポート」の締めくくり。コルカタでティーオークションの歴史を築き上げてきた紅茶ブローカー会社「J. Thomas & Co.」についてお届けいたしましょう。
イギリス政府によって統治されていた1851年、J. Thomas & Co. の歴史が始まります。イギリス人のThomas一家によって始められたこの会社は、創業当時ジュートやインディゴ染料などを扱う会社でした。その後、社名をJ. Thomas & Co. に変更しティーオークションを行う紅茶ブローカー会社となったのは1861年のことでした。
当時のティーオークションは円卓を囲んで和やかな雰囲気で行われていたそうです。ティーオークションの後には、無料で昼食が提供され、その昼食の席で紅茶の話以外にゴルフの話やポロの話など、イギリス文化が飛びかっていたのでした。また、ティーオークションで間違って落札してしまった茶葉も、この席で修正できたとか・・・。なんともおおらかなこの文化は1960年代まで続いていたそうです。
インドの紅茶が世界的に注目を浴びるようになったのは1875年以降。それに従ってアッサム地方やダージリンを含む北ベンガル地方の茶園の総面積は、20年で2倍になったのでした。
1947年。イギリスから独立し、「新生インド」が立ち上がったこの年、J. Thomas & Co. にとっても転機の年となります。それまでイギリス人によって経営されていたこの会社に、第一号のインド人ディレクターが誕生し、それと同時に持ち株制度となったのです。
1963年。一時は東インド会社総督・ヘイスティングス卿の住居でもあったJ. Thomas & Co. の建物が改築された際、土の中から大理石で造られた仏像が発見されました。
J. Thomas & Co. では、代々のディレクターとチェアーマンだけが、会社を去る日に円卓に名前を刻むことが許されています。円卓には創業者R. Thomasの名前も刻まれています。
1861年の創業から144年の歴史を刻むJ. Thomas & Co.。世界中にインド紅茶を発信してきただけでなく、インド全土の茶園に対して、ティーオークションを通して適正な価格で茶葉を販売できるルートを提供しています。また、茶葉の品評だけでなく、茶園に対してより品質の良い茶葉を生産するためのアドバイスも行っているのです。
2003年7月14日夕方。ダージリンの競りを行っていた部屋で大きなどよめきが起こりました。それは歴史上最も高い値で競り落とされた紅茶が誕生した瞬間でもありました。その名は「マカイバリ茶園シルバーニードルズ」だったのです。
インドの歴史と共に歩んできたJ. Thomas & Co.。これからも世界の紅茶の中心として様々な歴史を刻んでいくことでしょう。
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