« デリーの遺跡 1 | トップページ | デリーの遺跡 3 キラ・ライ・ピトラ(KILA RAI PITHORA)1st City of Delhi »

2008年9月 5日 (金)

デリーの遺跡 2 ラル・コット(LAL KOT) 1st City of Delhi

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

現在、インドに出張中の石井洋子がお届けします。

デリーの遺跡巡り2。

デリーには7つの城壁遺跡と入植者がうちたてた紀元前1500年から紀元後400年までの遺跡があります。しかし、紀元後400年から紀元後915年までANANGPAL TOMAR王がやってきて王国を設立するまでの500年間、デリーは、殆ど見捨てられていました。

ANANGPAL TOMAR王の娘の名前はDILLIKAです。デリーと言う名は彼女の名前からつけられたとも言われています。そして ANANGPAL TOMAR王は、都市の名前をラル・コット (LAL KOT)と名づけました。
LALの意味は赤 KOTの意味は新開地です。デリーの遺跡は赤い石で作られています。

ラル・コットは現在のデリーの南の高台メロリ(mehrauli)に位置し、デリーの東はずれにはヤムナ河(Yamuna)が流れていますので、分水された川から自然の大きな貯水池が城壁の中にできています。ラル・コット(LAL KOT)は100年以上の間に国土を広げて行き、1153年には5万人の人々が城壁の中で生活をしていたと記録されています。

LAL KOT は 大きな宮殿と、市内を囲む長い城壁を造り、ヤムナ河の水を調節する水路も残されています。何年か前に考古学者によってLAL KOTの宮殿が掘り起こされましたが、すぐに元の状態で埋められて現在は植物が生い茂るジャングルの中にあります。埋められた場所を訪れると遺跡の状態が確認されます。

人生の偉大な業績をなした人の宮殿跡は今では大地に・・・。人間が死んだときと同じように遺跡は土の中に忘れ去られています。

最後の勝利者は大地だということを考えさせられます。


1_3

ラル・コットのお墓跡。

Photo_5


低地にできた自然の貯水池。ラル・コット時代の人々の生活用水になっていた。


Photo_6

宮殿跡。草木の覆われているが壁の跡が見える。考古学者によって掘り起こされたが、再度
土の中に埋められた。

200895_022_3

ラル・コットの長い城壁が遠くに見える。手前が城壁の中で現在はジャングルになっている。

200895_023_3


ラル・コットの城壁の向こうに200年後に造られた観光地として有名なクトブ・ミナールが見える。

|

« デリーの遺跡 1 | トップページ | デリーの遺跡 3 キラ・ライ・ピトラ(KILA RAI PITHORA)1st City of Delhi »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126103/42380020

この記事へのトラックバック一覧です: デリーの遺跡 2 ラル・コット(LAL KOT) 1st City of Delhi:

« デリーの遺跡 1 | トップページ | デリーの遺跡 3 キラ・ライ・ピトラ(KILA RAI PITHORA)1st City of Delhi »