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2008年9月 9日 (火)

デリーの遺跡 3 キラ・ライ・ピトラ(KILA RAI PITHORA)1st City of Delhi

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

現在、インドに出張中の石井洋子がお届けします。

デリーの遺跡巡り3。 キラ・ライ・ピトラ(Kila Rai Pithora)王国


1153年にラル・コット王国は、ラジャスタン砂漠地帯のアジメール
(Ajmer)に国を構えていたラジプット・チョウハン(Rajputs chouhan)
王に、征服されます。アジメールからデリーまで攻めてきたのです。
王国の名前をキラ・ライ・ピトラ(Kila Rai Pithora)と呼びます。
宗教はヒンドゥ教です。

砂漠からやってきたキラ・ライ・ピトラ王国の人間は、背が高く、
肌は浅黒く、ハンサムな人種です。全員が長い髭を蓄え、
偉大な軍人としてのセンスをもっており、誠実で正直で勇敢でした。
その後、ムガール王朝が攻めてきて、キラ・ライ・ピトラ王国を征服
しますが、ムガール王国の人々は、キラ・ライ・ピトラ王国の軍人の
勇敢さに敬服し尊敬をしたと伝えられています。

Photo

【写真】現在のアジメール人

ラジプット王チョウハンは、ラルコット王国の領土ををそのまま支配し、
更に少しづつ領土を広げて行きました。城壁の技術も優れていて、
大きな石を使用し鉄のつなぎできちんと固定しています。その広げて
いった蛇のように曲がりくねった城壁が250キロメートルも続いています。
今でも城壁が残されており、サケット(saket)にある美しいゴルフ場の
塀は、そのまま城壁を利用して設計されています。 モスク、水路、
その他の設備も完備していました。

Photo_2

【ヒンドゥ教のモスク】

Photo_3

【今ではモスクの中には、こうもりが巣くっています。】

Satpura_canal

【サトプラ・カナル(Satpula Canal)の水路。生活用水の配水調節がされていました。】

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