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2008年9月15日 (月)

デリーの遺跡 4-2 奴隷王朝クタブ(Qutub-Tin-Aibaq)2nd City of Delhi

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

インドに出張中の石井洋子がお届けします。


奴隷王朝クタブ(Qutub-Tin-Aibaq)の奴隷アイバク( Aibak) が、
征服者トルコによって奴隷の身分でしたが、総督としてデリーを
任されることになります。

征服者のトルコは、アイバクに毎年インドからの宝石、絹、奴隷、
金等の貢物を送らせて、気候のよい中央アジアからデリーを
100年間統率します。

敬虔なるイスラム信者のアイバクはイスラムのモスクや遺跡を
建てることに力を注ぎましたので現在でも1200年代の多くの
遺跡とモスクがデリー市内に残されています。

美しいヒンドゥ教の27のモスクの一部を壊してイスラムモスクに
したり、AD4世紀につくられていた、鉄の柱をクタブミナールの
建物の中の一部に取り入れたりして、ヒンドゥ教との混合のも
のが数多く残されています。


アイバクの方針はその後の総督にも引き継がれましたので
1290年に(キルジ・シリ)Khilji-Siriに征服されるまで、クタブ
奴隷王朝が続きます。


                           Photo
≪ジャマリ・カマリ(JAMALI KAMALI )モスクの入り口≫ AD1200年代

Photo_2
≪ADAM KHAN ≫ AD1200年代

Photo_3
≪ジャマリ・カマリ・モスクの中の天井の模様。美しく保存されています。≫

Photo_5
≪AD4世紀に造られた鉄の柱をクタブミナール内に利用している≫

Photo_6
≪クタブミナールの柱はヒンドゥ教のモスクを利用している≫


                                         続く

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