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2008年9月11日 (木)

デリーの遺跡 4-1 奴隷王朝クタブ(Qutub-Tin-Aibaq)2nd City of Delhi

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

現在、インドに出張中の石井洋子がお届けします。

現在のトルコは、紀元後600年頃から多数のトルコ部族が、中央アジア
に侵出し、中央アジアのあちこちに国を建設していました。1100年頃に
はアフガニスタンまで侵出してきていました。

1190年には、インドのデリーのチョウハン(chouhan's)王
 キラ・ライ・ピッタ(KILA RAI PITHORA)国に、トルコ将軍に
率いられた大軍が境界まで攻めてきました。しかし、トルコ軍は勇敢な
チョウハン王の軍隊に太刀打ちできずに多くの犠牲者を出して引き上
げていきました。

2年後再度トルコ軍は120000人の軍隊を率いて攻めてきました。
チョウハン王はわずか30000人の軍隊で戦いましたが、最後は負けて、
王は捕虜となり、チョウハン王の軍隊はアジメールに戻ります。

デリーを占領したトルコ軍でしたが、デリーのあまりの気候の暑さに
辟易して、軍隊での奴隷であった人間を総督として任命し、多くの
宝石とシルクと金と奴隷を収奪して、トルコ人の王は気候のよい中央ア
ジアに戻っていきます。

任命された奴隷が奴隷王朝クタブ・アイバク(Qutub-Tin-Aibaq)です。
そしてデリーでの最初のイスラム王朝がスタートしました。
この奴隷出身の王アイバクは、敬虔なるイスラム教徒でしたので
モスクや遺跡を数多く残し、その中でも観光地として有名なのが
クタブミナールです。

クタブ奴隷王朝は1290年までの100年間続きます。

Photo
有名なクタブ・ミナール(Qutab Minar)の塔

Photo_4

クタブ奴隷王によりインドで最初に建てられてモスクの入り口

Photo_3

モスクの全体像


Photo_2

絵文字がしっかりと残されている。今でもインドの人たちが
お参りにきており、門番が管理をしている。

Emoji_2

絵文字が残されている。
                                続く


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