デリーの遺跡5-1 キリジ・シリ (Khilji-Sili ) 2nd City of Delhi
インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。
インドに出張中の石井洋子がお届けします。
奴隷王朝クタブの最後の頃になると、中央アジアからのトルコの
支配も弱くなり、総督の統率力も衰えた1290年に、トルコ族の
キリジ・シリ国(Khilji-Siri)アラウディン(Allauddun)に、征服を
されます。
キリジ・シリ国の支配者アラウディン(Allauddun)は低いカースト
の人間でしたが、外的から人々を守る多くの城壁を残し、イスラ
ム教の大学をつくり、貯水池をつくったりと、その1320年までの
30年間の治世は高く評価されています。
この頃中央アジアでは、モンゴル人ティンギスカンの征服が
始まっていました。デリー近くにもたびたび攻撃をしてきてい
ましたので、支配者アラウディンは、モンゴル人からの攻撃に
備えて、城壁の外で生活をしている人たちを守るために広大な
城壁をつくります。この城壁の都市がデリー2nd City と呼ばれ
ています。
その広大な城壁が、1982年にアジア大会の会場になった、
現在のシリ・フォートとパンチシラ(Panchshecl )地域になり
ます。都市への水の補給地域はハウスカス・ヴィレッジ
(Hauzkhas Village)です。
貯水池の傍には立派なイスラム教の大学の遺跡が残って
おり、現在でも美しい広大な池と大学の遺跡は散歩コース
として多くの人々の憩いの場になっています。

≪シリ・フォート城壁。 ラル・コット時代よりも高く造られています。≫

≪シリ・フォートの人々の水補給貯水池。現在でもアヒルが泳ぎ、憩いの場になっています。≫

≪CHOR MINAR 犯罪人の首をつったり、保管をしたりしていた塔で、人々にみせしめとしていました。≫

≪シリ・フォート城壁前のお茶屋さん。朝のひと時を新聞を読んだりしてチャイを楽しんでいます。
城壁は現在は鉄の柵で保護されています。中は公園になっています。≫
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