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2008年10月 7日 (火)

デリーの遺跡 10-1  ムガール王朝(Mughal rule) 番外編 6代目オウランガゼーブ

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

インドに出張中の石井洋子がお届けします。


ムガール時代についての番外編です。
1526年の初代から1803年にイギリスに征服されるまでの
ムガール王朝の王についての話をご紹介します。

【17代まで続いた王朝の略歴】

1526年~1530年初代バーバル(BUBUR)

1530年~40年2代目フマユン(Humayun) 

1545年~1555年 サリム・シャー(Salim Shah)
(一時的に征服されるが10年後にフマユンが再度征服する。)

1555年~1556年2代目フマユン(Humayun)

1556年~1605年3代目アクバル(Akbar)

1605年~1628年4代目ジャハンギル(Jahangir)

1628年~1658年5代目シャー・ジャハン(Shah Jahan)

1658年~1707年6代目オウランガゼーブ(Aurangzeb)

これ以後の150年間は17代の王が交代しますが、どの王も
弱く力がなく側近の統率が続きます。

【6代目の王オウランガゼーブ(Aurangzeb)についてのお話】

シャージャハンの4人の息子の4男でした。
兄3人の領地を征服して殺し、最後には国の財政の疲弊の
元である建築狂の父親をレッドフォートに幽閉してしまいます。

オウランガゼーブは非常に敬虔で、強烈なイスラム教信者で
あるとともに、質素で禁欲的な生活をしていました。
イスラム教の布教の為にのみ、84歳までその後の人生を
過ごします。

父のシャージャハンの頃に盛んであった文化的な音楽、ダンス、
詩を禁止しました。税金はモスリム教の人間からは徴収しませ
んでした。そのためにシャージャハンの頃に疲弊していた財政も
潤ってきました。

王自信は自分の個人的な費用はイスラム教の帽子を自らが売り、
個人の生活費にしていました。王が亡くなった時には、王個人の
資産はわずか18ルピーしか残されていませんでした。


Photo
≪2代目 フマユン王(Humayun)のお墓。綺麗な彩色の後が残されています。≫


Photo_2
≪イギリス人がムガール王朝征服後、レッドフォートの敷地内に
建設した兵舎≫

Photo_3
≪イギリス人が征服後、最初に建てたキリスト教会≫

2_003
≪イギリス人が建設したキリスト教会。お墓が併設されています。≫


Photo_4
≪イギリス統治時代の火つけ塔。常時火がともされていたので、火をもらいに
きていました。≫

                          続く


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