デリーの遺跡 10-1 ムガール王朝(Mughal rule) 番外編 6代目オウランガゼーブ
インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。
インドに出張中の石井洋子がお届けします。
ムガール時代についての番外編です。
1526年の初代から1803年にイギリスに征服されるまでの
ムガール王朝の王についての話をご紹介します。
【17代まで続いた王朝の略歴】
1526年~1530年初代バーバル(BUBUR)
1530年~40年2代目フマユン(Humayun)
1545年~1555年 サリム・シャー(Salim Shah)
(一時的に征服されるが10年後にフマユンが再度征服する。)
1555年~1556年2代目フマユン(Humayun)
1556年~1605年3代目アクバル(Akbar)
1605年~1628年4代目ジャハンギル(Jahangir)
1628年~1658年5代目シャー・ジャハン(Shah Jahan)
1658年~1707年6代目オウランガゼーブ(Aurangzeb)
これ以後の150年間は17代の王が交代しますが、どの王も
弱く力がなく側近の統率が続きます。
【6代目の王オウランガゼーブ(Aurangzeb)についてのお話】
シャージャハンの4人の息子の4男でした。
兄3人の領地を征服して殺し、最後には国の財政の疲弊の
元である建築狂の父親をレッドフォートに幽閉してしまいます。
オウランガゼーブは非常に敬虔で、強烈なイスラム教信者で
あるとともに、質素で禁欲的な生活をしていました。
イスラム教の布教の為にのみ、84歳までその後の人生を
過ごします。
父のシャージャハンの頃に盛んであった文化的な音楽、ダンス、
詩を禁止しました。税金はモスリム教の人間からは徴収しませ
んでした。そのためにシャージャハンの頃に疲弊していた財政も
潤ってきました。
王自信は自分の個人的な費用はイスラム教の帽子を自らが売り、
個人の生活費にしていました。王が亡くなった時には、王個人の
資産はわずか18ルピーしか残されていませんでした。
≪2代目 フマユン王(Humayun)のお墓。綺麗な彩色の後が残されています。≫
≪イギリス人がムガール王朝征服後、レッドフォートの敷地内に
建設した兵舎≫
≪イギリス人が建設したキリスト教会。お墓が併設されています。≫
≪イギリス統治時代の火つけ塔。常時火がともされていたので、火をもらいに
きていました。≫
続く
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