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2008年10月の12件の記事

2008年10月30日 (木)

マカイバリ茶園 in Autumn

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリ紅茶のブログ。

先週はマカイバリ茶園を訪問しました!

ダージリンはまさに秋。太陽は燦燦と輝き、空は高く、そして茶畑はしっとりとした落ち着きを放っています。季節によってその姿を変えるマカイバリ茶園。私はマカイバリ茶園の秋の時期が一番好きです。

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モンスーンがあけた9月下旬より秋摘みオータムナルフラッシュの茶摘みが開始されました。
今年のモンスーンは雨の量が非常に多く、気温が低かったそうです。
10月に入るとモンスーンはあけ、一気に気温が上昇したとか。昨年と比べると7度も高くなったそうです。
これも世界規模での温暖化の影響かもしれません。

茶園主ラジャさんはいつものように温かく迎えてくれました。
ダシェラ、ディワリの時期とあって人々はお正月の準備で忙しそうでした。1年で一番人々が活気づくときでもあります。ラジャさんもフランスからのテレビ局のインタビュー、アメリカのお客さんの接待などで忙しかったそうです。

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今回もいつものようにラジャさんと茶畑を歩きました。今回は上級者のコース。茶畑は東京ドームの100倍近くの広さがあり、すべてを歩くことは不可能なので、いつもコースを選んで歩きます。

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ラジャさんは私のペースにあわせて歩いてくれますが、どんどんその差は広まるばかり。途中で野鳥がでてきたり、遠くで猿の声が聞こえたり、犬がでてきたり、、。マカイバリ茶園はまさに動物たちにとっても楽園です。誰もが、モンスーンがあけた秋晴れを楽しんでいるかのように見えます。子どもたちも元気です。私たちをみると学校からでてきました。

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茶摘みの女性たちも秋摘みオータムナルフラッシュの茶摘みの書き入れ時。籠にはたくさんの葉が入っています。これらの葉が紅茶となって日本にも届くのです。

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茶園の中で見つけたポインセチア。 日本ではクリスマスの時期に花屋でみかけますが、マカイバリ茶園では自然の木のままで見ることができるのです。これからもっと花が赤くなるそうです。茶園には秋に咲くサクラの木もあるのです。

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約7km近く歩いた後は、汗だくになりましたが驚くほどに心地よい疲れでした。きっと、マルチングのために足元に敷き詰めたガテマラグラスや雑草のお陰でしょう。

秋摘みオータムナルフラッシュは現在、コルカタで出荷を待っています。インドのお正月の時期とあって今の時期は誰もお休みをとってるのです。

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11月には日本に到着します。2008年の秋摘みオータムナルフラッシュも、マカイバリのエッセンスがぎっしりと詰まった紅茶に仕上がっています。深い味わいの中に、まろやかな甘さと花を思わせる香りが特徴です。

どうぞ楽しみにしてください!

続く

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2008年10月28日 (火)

Happy Diwali in 2008 !

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリ紅茶のブログ。

現在デリーに出張中の石井道子がデリーの日常をお届けしています。

今年もまたインドで最大の祭り「Diwali :ディワリ」がやってきました!ディワリは、ヴィシュヌ神の化身・ラーマ王が自国から追放され、14年ぶりに戻って来たことを祝って行われるお祭りで、ヴィシュヌ神の妻であり富と幸運の女神であるラクシュミを祀る日です。

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この時期は街が一番賑やかになります。家やマーケットでは光が飾られます。街中がクリスマスのような飾り付けに変身。この日は家族や親戚が集まって、健康と発展を祈ってお祝いをします。また、あちらこちらで花火や爆竹が後をたちません。

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ディワリの前から、ギフトの交換をするのもインドならでは。知人のインド人はこんなにたくさんの果物を配りました。
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インドの人たちにとってディワリは一番大きなイベント。朝から家の前では花火や音楽が鳴り響いています。今夜は朝までうるさいのでしょう。。

今日は私は猫のたまと一緒に一日家にこもっています。昨年は大きなパーティーに参加しましたが、今年は一人で静かに過ごすことに決めました。家の中でささやかな蝋燭を灯しながらディワリを楽しんでいます!皆さんにとって健康と富がきますように・・。
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PS 今週はマカイバリ茶園に行ってきました! 次回はマカイバリ茶園の様子をお伝えします。

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2008年10月26日 (日)

私の健康法 by たま

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

皆さんこんにちは。たまです。
しばらくブログに登場せず、色々な方から「どうしたの?」とご心配を
いただきましたが、インドの暑さに負けずに頑張っております。

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私は今年で16歳になりました! 子猫のように小さいので「Baby」などと
インドの人に言われますが、れっきとした成猫であります。
16歳にはとても見られず、よくアンチエイジングの秘訣なども聞かれます。

そんな私の健康法をご紹介します。

まず朝起きたら縄張りチェックもかねてベランダを散歩。草を食べて胃を綺麗にします。

食事はオーガニックのキャットフードと新鮮なシラス。どちらも家族が日本から持ってきてくれます。
特にシラスは大好物♪ 鰹節と一緒にいただきます。

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朝、食事をもらうために寝ている姉の道子をおこしますが、なかなか起きてくれません。
夜更かしをするからだよ。私は朝が早いのに・・・。

食事の後は何と言っても睡眠!!
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ぐっすりと寝ること。
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ただひたすら寝ること。Zzzzzz.

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たまに姉の道子に起こされますが、邪魔をされてもまた寝ます。

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寝る子は育つと言われるけど、これ以上私は大きくならないみたい。

でもこれからも健康で長生きをしてインドの長寿猫No1を目指します。
皆さんも健康に気をつけてくださいね。

また近況報告をさせていただきます。
どうぞ今後とも宜しくお願いします。


石井たま

マカイバリ茶園アジア・日本総代理店マカイバリジャパン

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2008年10月24日 (金)

Mundan Party!

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

現在デリーに出張中の石井道子がデリーの日常をお届けしています。

インドで生活していて思うことはパーティーが非常に多いこと。曜日に関係なく、パーティー、パーティーです。色々な名目のパーティーで家族や親戚、友達が集まります。今回は「Mundan Party」と初めて聞く名前のパーティーに招待されて行ってきました。

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遠くからでも一目で分かるパーティー会場。屋外のかなりの広いスペースを借り切ってのパーティーです。

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「Mundan」とはヒンディー語で、断髪の意味。シャルマ家のクリシュナ君の断髪セレモニーのパーティーだったのです。ヒンドゥー教では、男の子は生まれてから2~3年は髪を切らないのだそうです。そして3歳くらいになったころ髪をばっさりと切り、坊主になります。このときに、男の子は女の子とはっきりと見た目の上で区別されるそうなのです。

本日の主役のクリシュナ君はどこから見ても女の子。
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髪を切った後は確かに男の子?ですね。
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このセレモニーの人にこれだけの人が集まり、食事が出されます。
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そして、パーティーには欠かせないダンス! 
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インドの夜はいつまでも賑やかにうるさく続くのでした。。。

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2008年10月22日 (水)

日本食レストラン「ai」@デリー

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

現在デリーに出張中の石井道子がデリーの日常をお届けしています。

10月3日にオープンしたばかりの日本食レストラン「ai(愛)」に行ってきました!場所はMGF Metropolitan Mallの2階。日本の凧やお多福をユニークに飾っているのですぐに分かります。

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ここはイギリス人、フィリピン人、インド人、シンガポール人の5人のシェフを抱え、魚も日本の築地市場から仕入れる程かなり本格的なレストランです。
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シェフがひとつひとつ丁寧に魚を切ってつくってくれます。
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デリーで、日本と変わらないお寿司が食べられるなんて驚きです。

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その他、自分の好みを言うとシェフオリジナルの料理もつくってくれます。日本食レストランですが、純和食というよりも洋風にもインド風にもアレンジされています。

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デリーではお寿司がブーム。インドの人が普通にお箸を使って食べています。


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外には広いパーティープレイスがあり、パーティー好きなインドの人たちにはぴったり。
レストランの横には「LOVE HOTEL」という名前のバーもあり、毎週金曜日は生のジャズ演奏が聴けます。

オーナーはデリーでは有名なイタリアンレストラン「olive」のオーナーのAD SIGHさんです。彼に会ったのが昨年の今頃。俳優のジョージ・クルーニー似のかっこよい人です。いつも綺麗な女性と一緒にいて、人を楽しませてくれます。レストランの名前aiも「皆が食事を楽しみ、幸せな気持ちになれるように」という意味でつけたそうです。

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左がAD SIGHさんです。

デリーに来た時はマハラジャ気分でお寿司などはいかがでしょうか?

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2008年10月20日 (月)

ディワリに向けて

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

帰国した石井洋子に代わり、現在デリーに出張中の石井道子がデリーの日常をお届けします。

今、インドは1年の中で最も賑やかな時期。日本で言うお正月です。今年はダシェラとディワリが同じ月(10月)にあるので、今月は皆仕事が手につきません。

10月9日のダシェラの日は我が家の前の「グルモハール・クラブ」でも、恒例の人形焼が行われました。ダシェラはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」のラーマ王子が悪に打ち勝ったことを祝うお祭りです。

ベランダから見える悪魔の人形。
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近くに行って見てみると・・・
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かなり巨大。ラーマヤナの物語に登場する3人の悪魔たちで、左からKubhkarana、Rawana 、Meghnathaと名前がついています。MeghnathaはRawanaの息子。KubhkaranaはRawanaの弟。Kubhkaranalは1年の半分も眠っているのだそうです。

そして今日の主役はなんと言っても一番大きな真ん中のRawana。Rawanaはラーマ王子の妻シータと結婚したいがために彼女を誘拐しましたが、最後はラーマによって殺されてしまいます。まさに善は悪に勝つといったところでしょうか。


日が沈んだ頃、悪魔は順番に燃やされます。まずMeghnathaから。人形の脚もとに敷かれた藁に油がかけられ、火がついた数秒後。ものすごい爆竹音とともに、Meghnathaは火の中に。瞬く間に姿がなくなってしまいました。
流石のインド。あまりの大きな音と火の大きさに驚きました。
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最後のRawanaが焼かれたときは周りから拍手と歓声があがりました。インドでは、悪魔を燃やすことは自分の心の中にある悪やエゴも燃やすとも信じられています。日本で言う大晦日の除夜の鐘です。

デリーではディワリに向けて、各家々でライトアップの準備が進められています。ダシェラ以上にディワリはうるさくなることでしょう。やはり厳かな除夜の鐘の方が良い、と思ってしまうのは日本人だからでしょうか・・?

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マカイバリ茶園アジア・日本総代理店マカイバリジャパン


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2008年10月11日 (土)

デリーの遺跡の(最終回) 10-4  番外編  イギリスの統治

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

石井洋子がお届けします。

1857 年以後 イギリスの統治が始まりました。
植民地の建物、教会、埋葬所などを、オールドデリーに
建設しました。
その後、1912年には、それまでカルカッタにあった首都を
ニューデリーに移しました。
現在もインドの首都はニューデリーです。
                             (完)


長い間ご高覧いただきましてありがとうございました。
東京に戻ってきました。

久し振りに仕事を兼ねて、8月、9月の2か月間
デリーで過ごすことができました。
貴重な2か月間ですから、何か記念になることをと
考えました。

インドの人に見習って朝6時半から9時までウオーキング
の時間をつくりデリーの遺跡めぐりにあてたのでした。

多くのインドの友人や遺跡で出会った人たちに助けられて、
1000年代のデリーから、1800年代のイギリス統治まで
デリー7都市まで、こぎつけることができました。
未熟な内容ですが、多くの皆さまに見ていただき
感謝いたします。

今インドは大発展をしています。日々新旧が入れ替わる
めまぐるしさです。
しかし、その反面、古い遺跡を国が省をもうけて保存しています。
広大な遺跡跡を入場料をとって観光地にしているところも
ありますが、ジャングルのままにして人々の憩いの場にも
しています。

毎朝、インドの人々は 老若男女 歩け!歩け!ヨガ!瞑想!
精神的な幸せと平穏を求めるインドの人々の人生観には感銘を
受けました。

東京での仕事生活が始まりました。日本のよさにも感謝です。

次号からインド出張中の石井道子がお届けいたします。 

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≪ムガール王朝を征服してイギリスの軍隊が入場
  してきたのが、このカシミール門でした。≫

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≪イギリス軍が最初に建設した統治オフィス≫

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≪イギリス人がつくったお墓≫

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≪お墓に書かれた碑≫

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≪ニューデリー新都市に作られたイギリス時代の官邸。現在の大統領官邸≫

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≪官邸前の門。当時はイギリス王室スタイルの騎兵隊がいたそうです。
現在でも時々騎兵隊の閲兵をみることができます。≫


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≪新旧混在の現在のデリー市≫

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≪ごく普通の人が、このように立派なスタイルでヨガを公園で
しています。あちらでも、こちらでもヨガと瞑想です。≫


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2008年10月10日 (金)

デリーの遺跡 10-3  ムガール王朝(Mughal rule) 番外編  バハンダル・シャー・ザハー(Bahandur Shah Zafar)

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

インドに出張中の石井洋子がお届けします。

1857年、英国はデリーの北インドのほとんどを傘下に
おさめていました。詩人でもあったムガール王朝の最
後の王バハンダル・シャー・ザハー
(Bahandur Shah Zafar)は、英国と戦うこともなく、
城を明け渡します。
そしてビルマのラングーン(Rangoon)に国外追放に
なります。

英国はレッドフォートのカシミール門から場内に入って
きました。
バハンダル・シャー・ザハー(Bahandur Shah Zafar)王
が国外追放になったレッドフォートに英国国旗を掲げた
のでした。

バハンダル・シャー・ザハー(Bahandur Shah Zafar)王が、
その後50年近くをビルマで過ごし、亡くなるまでに
多くの詩を残しています

亡くなる前の詩2編です。

" How unlucky is Zafar
To bury his old body
Not 2 metres of land was there
In the country he loved most"

ザファーがもっとも愛している国に
彼の老いた身体を埋葬するための
2メートルの土地もそこにはないのだ
なんと不運なザファーなのだ.。

"When I die ,make for me
a small tomb, for my desires
Large tomb for my body"

私が死んだら、私の願望のために
小さなお墓をつくってください。
私の肉体をおさめるために
大きなお墓をつくってください。


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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)のお墓の中。彩色がきれいです。≫


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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)のお墓の中。≫

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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)のお墓の中の美しい模様≫

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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)のお墓の中の美しい模様≫

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≪デリーから少し離れるだけで、こんな田園風景が残されています。≫


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≪大木も多いのです。≫

                                    続く


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2008年10月 9日 (木)

デリーの遺跡 10-2  ムガール王朝(Mughal rule) 番外編 モハンマド・シャー

デリーの遺跡 10-1  ムガール王朝(Mughal rule) 

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

インドに出張中の石井洋子がお届けします。


1707年粛清政治を行ったオーランガゼーブ死後、人々は
詩、ダンス、音楽など、楽しむようになりました。

ペルシャとの交流も多くなり、1735年のモハンマド・シャー
(mohammad Shah)王の時代は、華やかな宮殿生活に
なりました。

しかしペルシャ王に攻められて、コヒンドル(Kohindoor)という
値段もつけられない世界一大きな立派なダイヤモンドを、
ペルシャ王に持っていかれてしまいます。

ペルシャ王はモハン・マド・シャーがターバンの中に
コヒンドルのダイヤモンドを隠していることを秘密に知り、
お互いに兄弟になるには、ターバンを取り換えようと提案して、
ペルシャにダイヤモンドをもっていってしまったのです。

このコヒンドルのダイヤモンドについては、その後も転々と
国々を行き来して最後にインドに戻ってきたそうです。

ムガール王朝の最後の王バハンダル・シャー・ザハル
(Bahandur Shah Zafar)は、非常な高レベルの詩人であると
ともに非常に弱い王でもありました。王としてレッドフォート
(RED Fort)の宮殿の中だけにいて国の統率をしていました。
ムガール王朝最後ザファー王が残した有名な詩を次号で
ご紹介します。

                      続く

下記写真4枚はフマユン朝時代1528年から1529年に作られた
ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)の宮殿、モスク、お墓、井戸
です。この庭園の中で生活していた様子が残されています。
お墓の中の美しい彩色が残っている様子の写真は
明日掲載します。

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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)遺跡跡。現在は中を散歩できます。≫

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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)宮殿跡≫

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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)遺跡の跡≫

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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)遺跡の中にある井戸≫

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≪ジャマリーカマリ(Jamali-Kamali)お墓の建物の入り口≫

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≪遺跡の中のジャングルに生息している孔雀≫

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≪遺跡跡のジャングルは山羊の散歩道でもあります。≫

                                         続く

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2008年10月 7日 (火)

デリーの遺跡 10-1  ムガール王朝(Mughal rule) 番外編 6代目オウランガゼーブ

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

インドに出張中の石井洋子がお届けします。


ムガール時代についての番外編です。
1526年の初代から1803年にイギリスに征服されるまでの
ムガール王朝の王についての話をご紹介します。

【17代まで続いた王朝の略歴】

1526年~1530年初代バーバル(BUBUR)

1530年~40年2代目フマユン(Humayun) 

1545年~1555年 サリム・シャー(Salim Shah)
(一時的に征服されるが10年後にフマユンが再度征服する。)

1555年~1556年2代目フマユン(Humayun)

1556年~1605年3代目アクバル(Akbar)

1605年~1628年4代目ジャハンギル(Jahangir)

1628年~1658年5代目シャー・ジャハン(Shah Jahan)

1658年~1707年6代目オウランガゼーブ(Aurangzeb)

これ以後の150年間は17代の王が交代しますが、どの王も
弱く力がなく側近の統率が続きます。

【6代目の王オウランガゼーブ(Aurangzeb)についてのお話】

シャージャハンの4人の息子の4男でした。
兄3人の領地を征服して殺し、最後には国の財政の疲弊の
元である建築狂の父親をレッドフォートに幽閉してしまいます。

オウランガゼーブは非常に敬虔で、強烈なイスラム教信者で
あるとともに、質素で禁欲的な生活をしていました。
イスラム教の布教の為にのみ、84歳までその後の人生を
過ごします。

父のシャージャハンの頃に盛んであった文化的な音楽、ダンス、
詩を禁止しました。税金はモスリム教の人間からは徴収しませ
んでした。そのためにシャージャハンの頃に疲弊していた財政も
潤ってきました。

王自信は自分の個人的な費用はイスラム教の帽子を自らが売り、
個人の生活費にしていました。王が亡くなった時には、王個人の
資産はわずか18ルピーしか残されていませんでした。


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≪2代目 フマユン王(Humayun)のお墓。綺麗な彩色の後が残されています。≫


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≪イギリス人がムガール王朝征服後、レッドフォートの敷地内に
建設した兵舎≫

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≪イギリス人が征服後、最初に建てたキリスト教会≫

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≪イギリス人が建設したキリスト教会。お墓が併設されています。≫


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≪イギリス統治時代の火つけ塔。常時火がともされていたので、火をもらいに
きていました。≫

                          続く


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2008年10月 1日 (水)

デリーの遺跡 9-2  ムガール王朝(Mughal rule) シャー・ジャハナ・バード(Shah Jahanah Bad)7th City of Delhi

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

インドに出張中の石井洋子がお届けします。

ムガール王朝の5代目 シャージャハンが、デリーに
シャー・ジャハナ・バード(Shah Jahanah Bad)第7の都市を
造りましたが、モスクも造っています。それがジャマ・マスジット
(Jama Masjit)です。

写真でもわかるように、インドで最大のモスクです。1658年に
完成しています。今回は早朝にジャマ・マスジットに行きました
ので、参拝の人も少なく、モスクをいろいろな角度から撮影す
ることができました。

ムガール王朝がつくった城壁、宮殿、モスクなど、過去の
デリー王朝に比較するとその巨大さが実感できます。

Photo_4
≪ジャマ・マスジットの入り口≫

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≪ジャマ・マスジットの正面≫

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≪ジャマ・マスジット正面≫

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≪ジャマ・マスジットの中庭。早朝だったので人がほとんどいず、
広々とした印象が強烈でした。≫

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≪地方から出てくる人も多く、中庭で寝ていました。≫

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≪ジャマ・マスジットから、レッドフォートを見ました。≫

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≪素焼きの水がめを売っていました。この中に入れた水は冷たく美味しいのです。≫

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≪バナナだけを売っている引き売りもよく見かけます。≫

                        続く

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デリーの遺跡 9-1 ムガール王朝(Mughal rule) シャー・ジャハナ・バード(Shah Jahanah Bad)7th City of Delhi

インド・ニューデリー駐在員がお届けしているマカイバリジャパンのインド駐在ブログ。

インドに出張中の石井洋子がお届けします。


ムガール王朝(Mughal rule)
1633年アグラに有名なタージマハール廟を建てた5代目
シャー・ジャハン(Shah Jahan)が、オールドデリー
ヤムナ川の堤の傍にシャー・ジャハナ・バード
(Shah Jahanah bad)と命名したデリー第7の都市
7th City of Delhiを造りました。

皇帝の宮殿の中の美しいホールは、赤い石(red stone)で造られて
おり、エメラルド、ルビー、ダイヤモンドなどで贅をつくしています。
現在ではレッド・フォート(The Red Fort)として知られており
有名な観光地になっています。

天井にルビー、真珠、エメラルド、で埋め尽くされた孔雀の絵が
あるホールには、次の言葉が書かれています。

If There is Heven on Earth .
It is here・・・ It is here・・・
It is here・・・
地上に天国があるものならば
それは、ここです・・・
ここです・・・ここです・・・

Photo
≪レッドフォートの城壁。≫

2
レッドフォートの城壁≫

3naibu
≪贅をつくした装飾≫

Photo_2
≪模様の一部です。大理石に宝石がちりばめられています。≫

Photo_3
≪宮殿の真ん中を水が流れるようになっています。≫

Mizu
≪左側に斜めになっているところから、水が流れてきます。≫

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≪オールドデリーは宗教のお祭り日で、若者の男子と少年たちが
写真のいでたちで、レッドフォートまで練り歩きました。
日本のみこしを思い出しました。≫

                    続く

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