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2009年2月 5日 (木)

第61回マハトマ・ガンジー「殉教者の日(Martyrs Day)」の慰霊祭

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリ紅茶のブログ。

1月30日は、インドの国父と尊敬されているマハトマ・ガンジー
(Mahatma Gandhi)が1948年1月30日に狂信的なヒンドゥー
原理主義者の一人に暗殺された日です。78歳でした


1月30日に61回目の「殉教者の日(Martyrs Day)」の慰霊祭が
RAJGHAT SAMADHI(ラージガート・サマディ)で執り行われ
ました。

ご縁でVIPの招待状をいただきましたので、白い服を着て午前の
部に参列してきました。

Photo
≪招待状です。日程が書かれています。≫

Photo_2
≪式次第が書かれています。≫


参列者は、インドの大統領 Mrs.Pratibha Patil
(プラティバ・パティル)

Congress Party(国民会議派)党首
Mrs.Sonia Gandhi(ソニヤ・ガンジー)

デリー市長
Mrs.Sheila Dikshit(シェイラ・ディクシット)

その他多くの閣僚や関係者が参列しました。
陸・海・空軍の儀仗兵も参列。

Photo_3
≪THE HINDU 新聞の12面に掲載された写真です。
大統領がマハトマガンジーに敬意を表して参拝の儀式。≫

Photo_4
≪THE HINDU 新聞の1面の下に掲載された写真です。
マハトマ・ガンジーがピストルで撃たれて亡くなった
場所ビルラ邸でのヒンディー音楽第一人者の演奏と
参拝の様子です。≫

3発のピストルの弾丸を撃ち込まれた時、ガンディーは
自らの額に手を当てました。これはイスラム教で「あなた
を許す」という意味の動作だそうです。そして、ガンディーは
「おお、神よ!.ヘー・ラム HE RAM」とつぶやいて事切れ
たと言われています。黒大理石の四角い基台の正面に
この「おお、神よ!」が記されています。

私が参列した午前の部は厳かな立派な慰霊祭でした。

午前9時45分ピタリに式が始まりました。まず各宗教の
代表者が、経典を読んでのお祈りをします。スタートは
仏教でした。ラージギルでお寺のご住職であられる
小此木和尚様と他3名の日本人の方でした。

イスラム教、基督教、シーク教、ヒンディー教、・・・・・
次々に各宗教のお祈りが始まりました。11時に黙祷が
あり、(各学校でも2分間の黙祷がされたそうです。)
その後大統領の参拝があり、11時6分に終了しました。

感銘を受けました。

3人の女性(大統領 、国民会議派党首、デリー市長)の
質素な、堂々として気品のある、立派な姿にも感銘を
うけました。

式典は厳しい警戒態勢でしたので携帯電話もカメラも
持ち込み禁止でした。慰霊祭が終了してから再度式典
の会場に入って写真撮影をしてきました。

Photo_5
≪ガートに向かう正面入り口です。履物は脱ぎます。
春になってきているので花が綺麗でした。≫

Photo_6
≪会場全体の雰囲気です。後始末をしています。≫


Photo_8
≪基台の正面です。常に火が灯されています。≫


Photo_9
≪基台の前で記念撮影をしている人たち≫


Photo_10
≪基台の前の花の絨毯≫

今回不思議に感じたことは、国父である
マハトマ・ガンジーの慰霊祭の新聞記事を探すのに
苦労をしたことです。
「THE TIMES OF INDIA」「THE HINDUSTAN TIMES」の
新聞には、全く掲載されませんでした。

「THE HINDU」の新聞に掲載されているとの
情報を得て「THE HINDU」の、新聞社に出かけて
いって1月31日の新聞をもらってきて、ブログで
掲載をしました。

インドの年齢のいった人たちは、だんだん若者の
時代になり、国父である「偉大なる魂」が、大事に
されなくなってきていると嘆かわしく話す方もいました。

我が家の大家さん(ジャーナリスト)も「記事がのって
いないね」と声をかけてきたほどです。
毎年会場で報道人として写真撮影をしてきたそう
ですが、今年は、61回目で、あまり重要に思わなかっ
たので行かなかったそうです。

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コメント

いつも有意義な記事を読ませて頂き、有難うございます。
さて、ガンジー祭について一つ教えてください。
実は、40年位前に叔父からガンジー祭に出席した時の事を聞きましたが、式典中に日本語で「南無妙法蓮華経」と全員
が唱えたため、驚きかつ感動したとの体験談でした。   叔父がその理由を確認したところ、ガンジーの生存中に日蓮宗日本山の若い僧侶がガンジーの傍で何時もうちわ太鼓をたたき、お題目を唱えていたためガンジーもいつしか一緒になって唱え、日常習慣にまでなっていたそうです。
一度現地に行きたいと思いながら延び延びになっています。
今、この習慣ないのでしょうが、何時頃まで続いたのでしょうか? もし分かれば、と思っております。

投稿: 金田 惇 | 2010年1月29日 (金) 18時58分

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