マカイバリ茶園の秋【9】茶園に住んでいる人達
マカイバリ茶園は1840年代からイギリス人により創業された、ダージリン地方で長い歴史を持つ茶園の一つです。1856年、商業目的としてダージリンで最初に紅茶農園を始めたイギリス人・サムラー大尉によって始められたマカイバリ茶園は、1857年にG.C.バナジー氏に営業権が譲渡され、同年に製茶工場設立、1859年にはマカイバリ茶園(Makaibari Tea Estates)の名が正式登録されました。以後、現4代目茶園主スワラージ・クマール・バナジー氏(通称ラジャ)に至るまで、バナジー家が茶園の人々と一緒に生活し、茶園経営を行っています。
マカイバリ茶園は4つの山にまたがり、7つの村からなっています。680人のコミュニティー(茶園主は従業員と呼ばず、コミュニティーと呼びます)と、その家族1,700人が茶園の敷地内で暮らしています。茶園には政府系の小学校が2つあり、茶園の子どもたちはその小学校に通っています。
ラジャ・バナジー氏は、茶園の中を毎日歩くことを日課にしています。途中で会う茶園の人々に話しかけ飴玉をプレゼントします。写真の若い女の子は大学に通っています。
大学に通っている青年。ラジャ・バナジー氏から飴をいただきます。
66歳元茶摘み女性。60歳が定年。しかし茶園が忙しい時期には今でも現役で仕事のできる人です。
4代前から茶園に代々働いている人々がほとんどです。家族の誰かがマカイバリ茶園で働いていれば土地と家を支給されます。茶園の中で会う人が成長して世代交代をしたとラジャ・バナジー氏の話でした。支給されている家。
ラジャ・バナジー氏を一家の長とする1700人もの家族集団あるいは王国のようなマカイバリ茶園です。
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