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2017年10月の12件の記事

2017年10月23日 (月)

デリーの日々12 昼間のデリーゴルフ場

10月22日の台風を避けて帰国日を遅らせました。インドにいても最近は日本情報をネットで逐一知ることができます。

先日、会費と食事代など諸々費用を支払いに、デリーゴルフ場に行ってきました。メインコースがお休み日でショートコースのみオープンしていましたので人が少なかったです。


緑の芝と建物がよく合います。
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大きな大会が開かれるとのことで18番ホールに観覧席を作成中でした。
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中心になる休憩所です。右には9番ショートホール、前方は18番ホール 左が10番ホールになります。
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女性会員達で運営しているマザーテレサホームへ衣服の寄付入れ場所です。20年以上前から続けられています。インドの方々と日々ゴルフを愉しんでいた頃が懐かしいです。
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メンバーでない人がプレーする時の価格表です。(1ルピーは現在1.7円前後)。メンバーは毎月会費を支払っているのでプレイ料金は無料です。支払いはキャディ料金が18ホールで1000円前後、その他お茶代、食事代のみの支払いで毎日プレイできます。
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昨日10月22日屋上に出てみると夕陽がきれいでした。
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今回の「デリーの日々」は、この項で最後になります。ご愛読ありがとうございました。日本に戻りましても、継続して紅茶情報とともにアップしてまいりますので今後ともよろしくご愛読お願い申し上げます。

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2017年10月21日 (土)

デリーの日々11 飼い犬 「しろ」

何度かこのブログでご紹介している我が家の飼い犬「しろ」のシャンプーの様子をお届けします。

ディワリの前日にお手伝いのキランが、「大事なことをしなければ・・・」と言って「しろ」のシャンプーを始めました。インドの習慣でディワリ前にはいろいろとしておかなければなりません。犬を身ぎれいにすることも・・・。


まず全体に水をかける。
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シャンプーをつけて・・・
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顔を洗って・・・
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耳をあらって・・・・
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尻尾も洗って・・・・
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気持ちよさそうに定位置でひと眠り
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1年半前からお手つだいのキランになって、「しろ」は、1日2回 朝7時~7時半まで、夕方4時半から5時半までの散歩を土曜日も日曜日も休みなくしてもらっています。キランの旦那がキランのできない時にはかわりに散歩をしてくれます。動物に対する愛情が、ただ可愛いというのではなく、犬の立場にたっての世話をしてくれていることに感謝です。


「しろ」はサイババ寺の前で、交通事故に遭い、足の手術をして、我が家のメンバーに4年前になりました。お医者さんは「フレンドリー」「性格がよい」と評価してくれていましたが、我が家に来てからは、夜中に 遠吠えをしたり、散歩に行くとよその犬に喧嘩をしかけたり・・・・。家の中のあちこちでおしっこをしたり・・・・

しかし、今はお医者さんの言った通りの犬に変身。散歩に行っても、他の犬にほえることもなく、ゆっくりと散歩を楽しんでいます。家に入る前には毛をすいてもらいますが、気持ちよさそうに大人しくしています。

ひとつ困ったことができました。
以前、傍にきてうるさい時に「GO! 行きなさい。」そして言うことを聞くと「GOOD DOG!]」と褒めていました。

最後の「GOOD DOG]」に反応して、「「GOOD DOG!]」と褒めると突然、すくっと立って すたすたと自分の居場所に戻ってしまうことです。「「GOOD DOG!]」の英語の意味を「(GO!行きなさい]と間違えて覚えたようです。


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2017年10月19日 (木)

デリーの日々10 ディワリ

2017年10月19日(木)今日はディワリです。「Happy Diwal!」今年のデリーのディワリは日中はとても静かでした。例年ですと耳をつんざく爆竹、花火で、空が煙に覆われてしまいます。例年環境汚染の一因と言われ続けてきました。日中は徹底した「音なし」「煙なし」ディワリでした。

ところが夜8時過ぎから10時までは花火や爆竹の許可がでているそうで、今あちこちから音がしています。

今日はいろいろな方がプレゼントをもって「ハッピーディワリ!!」と訪ねてこられました。

その中の一人が友人のルエラです。デリーの有名なクリスチャンの学校の先生をしています。小学生に30年以上も教えています。巷のインド情報を沢山もらいます。
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ハッピーハンターで、今日の日のために買い求めてきたろうそくです。
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夜になり、我が家は、ろうそくをベランダに置きました。
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隣近所ではろうそくか、クリスマスに使用する電球で、家の周りを灯しています。幻想的な雰囲気です。
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我が家の犬の「しろ」は音が怖くて部屋の隅に逃げ込んでいます。動物にとっては恐ろしい日であります。
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2017マカイバリ茶園訪問7バグドグラ空港でのサプライズ

さてマカイバリ茶園訪問記をとりあえずこの項で最後にします。まだお伝えしたいことはあるのですが・・・・。


チェックインを終えて出発までのひと時を空港レストラン特別室で(ラジャ・バナジー氏のはからい)美味しい中華ラーメンと冷たいビールを飲みましょうと部屋にはいると・・・・。


先客として、2日前に茶園でお会いしたラクシミー・グループの御曹司副社長のルードラ・チャタジー氏と役員のアツール・ラストギ氏がおられました。
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茶園ではご挨拶程度のことしかお話できなく残念に思っていたところに、コルカタ行きの飛行機待ちをしておられました。私たちはデリー行です。

召し上がっていたお料理を「さあーどうぞご一緒に・・・」と勧めてくださいます。インドの方々のフランクな人への接し方には、いつも助けられます。私たちもやきそば等を注文して「どうぞ」とお勧めしました。

自然体で茶園の経営のこと今後のことなど話が盛り上がりました。今回のストライキの被害は甚大で大赤字です。でもルードラ氏は、現在ラクシミーグループの他の2つの部門の責任者であり、そこで利益を出しているので、マカイバリ茶園は問題なし。茶園が利益をださなくても、とんとんになるようにだけ心配りをしていくと力強く話されました。モディ首相は毎日マカイバリ紅茶を飲むほどのフアンである・・。インドの誉の紅茶園である・・・・。ラジャ・バナジー氏からは自分は息子のような存在と言われているし、自分自身もラジャ・バナジー氏を伯父のような存在として尊敬している・・・。

ルードラ氏は、アメリカ・コーネル大学卒業後、ニューヨークにてビジネススクールに2年間通い、ニューヨークの大企業で働き、その後父親が経営するラクシミー・グループに参加した30代後半、若手経営者のホープと言われています。

今回の長期ストライキ諸々で、日本の総代理店してしては、同じ品質のマカイバリ紅茶が届けられるのか?と
心配しました。今までもインドとのビジネスは現地に行き、まずは人と会うことの大切さを実感し、実践してきましたが、今回も多くの方々にお会いでき、安堵した出張でした。

でも最後ふと思ったことは・・・
製造業は厳しいな・・・。どんなに全力をつくして安全 安心 美味しい紅茶をつくりあげても、財力がなければ・・・。

早速に少ししか製造されない今年の秋摘みをマカイバリジャパン優先で送ると約束をいただきました。
写真撮影もご自分が席を離れてご一緒してくださいました。
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  【完】

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2017年10月17日 (火)

2017マカイバリ茶園訪問6 地元シリグリテレビ局インタヴュー

ラジャ・バナジー氏が地元シリグリテレビ局のインタヴューを受けることと、インタヴュー場所が最近オープンしたオーガニックカフェという説明でご一緒しました。


カフェの入り口にある看板
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カメラマン兼ディレクターとアナウンサーが準備して待っておられました。
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環境問題に取り組んでいる学者の方と、ラジャ・バナジー氏2人のインタヴューです。
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2人のインタヴューが終わると、突然アナウンサーが道子と私のインタヴューもしたいと言い出しました。内容は日本でのマカイバリ紅茶販売そのほか・・・。ラジャ・バナジー氏が「道子は英語OK。タイグレス(私のあだ名)は、道子が通訳しなさい」と心配して口を出してきました。私は今まで17年間インドで何度もインド人に同じ質問をされてきましたから英語OK。ラジャ・バナジー氏の日常英語はイギリスの難しい単語と言い回しをなさるので単語力のない私には理解できないことが多いのです。「マカイバリ茶園に出会う前20年間私はオーガニックを実践していました。マカイバリ茶園に出会い、これだ!マカイバリ! マカイバリ!・・・環境問題」等を交えて英語でスピーチしました。終えると拍手をいただきました。ラジャバナジー氏が「真摯な気持ちが皆に共感を与えたのだ。拍手をもらったのはタイグレス(メス・ベンガル虎の意味)だけだ」と褒めてくださいました。理念を共通にする方々との会でしたから共感していただける部分が多かったのだと思います。嬉しかったです。

山奥のさらに山奥で20年以上生活しているラジャ・バナジー氏20年来の友人。ナガランド(第二次大戦インパール戦で日本人にはなじみの場所)とシッキムのオーガニック紅茶指導をラジャ・バナジー氏に頼んだ人。 インタヴューのお礼に本をプレゼントしていました。
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ワイングラスで紅茶がでてきました。
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ブックカフェでもあります。
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コンサートも開催できます。
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右側に立っている方がカフェのオーナー
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部屋の中にある電子ポスター
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環境問題に取り組んでいる女性たち。カフェの手伝いをしています。
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最後にラジャ・バナジー氏が白茶で水だし紅茶をつくっていた器の中の紅茶葉が立っているのを取り上げて、「日本では茶柱が立つとよいことがあるとの諺があります。きっと皆さんによいことがありますよ。」と言って最後の締めをしてくださいました。確かに2日後私たちにはバグドグラ空港で思いもかけないよいことのサプライズがありました。
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理念をしっかりアピールして自然素材にこだわる素敵な心落ち着くカフェでした。「女性のパワーを発揮して皆さん頑張ってください。」と応援していきたいです。

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2017マカイバリ茶園訪問5 火事のこと

火事が起こった日。2017年3月17日午後2時15分前後・・・・・。

その日、その時間帯に自宅にいたのは、シュリパさんと女性のお手伝いさん2人。ラジャ・バナジー氏は歯の緊急治療を受けるためにコルカタに朝から出かけて行き留守。いつもは男性の手伝い人も常時待機しているのですが、この日はたまたま留守。

シュリパさんが昼食後自分の部屋に入り、横になっていると何か臭いいやな匂いがするので、廊下に出てみると電源の大元から煙が出て、火が噴きだし始めていました。びっくりしてお手つだいさんを呼び、水をかけるが火の勢いは強く、お手伝いさんと3人で逃げるのが精いっぱいだったといいます。

火事の大本と言われている電源。漏電ということで処理されました。家中にこの電源から配線がされているので電線を通じて火の回りが早かったということでした。
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150年の記念物になる建物。沢山の本、紅茶に関わる資料、家族の写真・・・・・。世界中からマカイバリ茶園を訪ねてきた人たちをこの家で接待してくれました。泊めてくれました。陰の力、シュリパさんの力の大きかったこと。


階段を下りていくと見える景色・・・
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家の骨格だけ・・・
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この廊下の両側に部屋がありました。廊下には茶園を訪ねてきてくださった方々の思い出の作品が飾られていました。すべて焼けました。
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シュリパさんは火事前はいつでも素敵なサリーかサルバコミのインド服でした。すべて焼けてしまいました。今は洋風スタイルでイメージチェンジ。茶園の女性に笑顔で以前のように接するシュリパさん。
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お二人とも火事のことは「起こってしまったから・・・・。」愚痴もださず、淡々としておられます。
長年家に保険がかけられていましたが、たまたま更新の手続きが事務方の手違いで遅れていて、保険でカバーできませんでした。

ラジャ・バナジー氏が、突然車の中で「喜多郎の曲が聴きたい」と言い出しました。1000枚以上のCDやレコードもすべて焼けてしまいました。音楽の好きだったラジャ・バナジー氏には一番残念なことだったかも・・・。

お二人と4日間ご一緒して胸のつまることが多々ありました。逆に励まされている私たちでした。

日本のマカイバリフアンからのお見舞金を持参しましたが最初はいらないと言っておられましたが、「日本の習慣です。せめてもの日本のマカイバリ紅茶フアンの気持ちです」と言って受け取っていただきました。

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2017年10月16日 (月)

2017マカイバリ茶園訪問4 マカイバリ茶園で2

工場に到着。マカイバリ工場は記念遺産100年以上前の工場としてとして登録されています。
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スト後の後始末をどうするか?どの茶園でもオーナーの最大難関。大赤字を補填していく財力が必要。マカイバリ茶園はイギリス統治時代の唯一インド人オーナーとして150年の歴史をもつ、どこの資本も入らない誉れ高いそして茶園主が茶園の人々と一緒に150年過ごしてきた唯一の茶園でした。しかし3年前に跡継ぎとして息子が跡を継がないことが決定し、後継者を育てるとともに、茶園の理念に共鳴してくれた財閥ラクシミー・グループの資本参加を受け入れたマカイバリ茶園。 今回の火事のこと、長期にわたるストのことはある意味ラジャ・バナジー氏一人で背負っていた困難を少し、今回はやわらげたのではないか?と推測しました

今日はラジャ・バナジー氏が茶園に来るというので、ラクシミーグループの御曹司副社長のルードラ・チャタジー氏(左)と役員のアトウゥール・ラストギ氏(右)がコルカタから出張してきました。
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久しぶりの事務所で・・・・。
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マネージャーのサンジャイ・ダス氏。今朝茶摘みされた茶葉の萎凋工程。1レーンしか茶摘みできなかったとのこと。茶葉の状態よいです。
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ティー・マスターであり、工場長でもあるニルさん自らがテイスティング準備をしてくださいました。
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全くぶれないマカイバリの味です。ほっとします。
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ラジャ・バナジー氏が火事後、宿泊していた工場の隣の建物。以前はマネージャーのサンジャイ・ダス氏家族が生活していました。「キャンピング」と言いながらお手伝いさんが作ってくれた茶園でとれた野菜料理を美味しくいただきました。どんな場所でも気取らない、ありのままのラジャ・バナジー氏です。
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心温まる、美味しい食事
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2017年10月15日 (日)

2017マカイバリ茶園訪問3 マカイバリ茶園で1

朝10時マカイバリ茶園に向かって出発です。ラジャ・バナジー氏はストライキの間3ケ月間は茶園に入れませんでしたから、久しぶり。シュリパさんは3月17日の火事以降、次男の住んでいるオーストラリアで3か月治療と静養をしてきました。しかし火事以降1度も茶園に来ていません。お2人にとってほんとに久しぶりの茶園です。


茶園に行く途中、ロングビュー茶園の茶畑でうっそうとした茶畑の中で茶摘み女性が働いていました。ラジャ・バナジー氏が見てみようと言って車を止めました。


茶樹の背丈が道子の背丈近くまで伸び、茶葉が異常に大きくなっています。
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摘んだ茶葉をいれる籠ではなく布地の袋を抱えて、雑草とつる草を始末していました。
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マカイバリ茶園のチュンゲイ茶畑に到着。マカイバリ茶園に7つある茶畑の中で美味しい紅茶が作れる茶畑です。マカイバリジャパンのシルバーティップスとヴィンテージクラスはこの茶畑からが多いのです。
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チュンゲイ畑の中を歩くラジャ・バナジー氏。何を考え、何を思っているのでしょうか?
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マカイバリ茶園でも茶摘み女性は草刈をもってメンテナンスをしています。
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茶樹の下まで丁寧にまとわりついている蔓を刈り取っています。
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チュンゲイ茶畑にはこのように見事に根のはった大木が数多くあります。
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男性はマカイバリ茶園で働き続けて5世代目の人です。このように何世代にもわたってマカイバリ茶園で働いている人がマカイバリ茶園では大方です。
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2017マカイバリ茶園訪問2 シリグリでラジャ・バナジー氏と

私たちがマカイバリ茶園を訪れる時は、用事のない限り、ラジャ・バナジー氏が飛行場まで迎えに来てくれます。「今回はどうかな?」と思って見回すと、姿が見えました。「ダージリンに来たな!!」と、デリーとの気持ちの切り替えを確認できる瞬間です。
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ラジャ・バナジー氏の運転。運転手は後ろの席で待機。スピードを出す運転は変わりなし。お元気です。
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今まではマカイバリ茶園内にあるラジャ・バナジー氏の自宅に泊めてもらっていました。2017年3月17日に自宅が火事で焼けてしまいましたから、今回はエアポートから30分ほどのところにあるシルギリの街のホテルに宿泊です。このホテルの裏にはリゾート地のようなホテル経営の家があります。現在ラジャ・バナジー氏はそこで仮の生活を しています。
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新しいホテルで近代的。デリーでみかけることがほとんどなくなった牛の像がホテルの前にありました。「インド
だな」と昔のインドを懐かしく思い出しました。
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シルギリの街でもバナジー家は代々事務所兼自宅をもっていましたから有名人です。スポーツ関係、その他の施設があるクラブのラジャ・バナジー氏はメンバー。夕食をそのクラブで。
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自宅の火事を体験しその後大ショックで体調をくずされていた奥様のシュリパさんもお元気でジョインです。とても嬉しかったです。
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2017年10月14日 (土)

2017マカイバリ茶園訪問1 デリー国内線飛行場で

2017年6月から始まったダージリン地方でのゼネラルストライキ。

すべての交通機関、商店、茶園、学校がストップするという過去最悪の状況でした。100日以上続いたストライキは9月27日に終結し、誰もが望んでいた日常がダージリン地方に戻りました。

9月末、デリーにいた私にラジャ・バナジー氏から突然電話がかかってきました。「10月になったらマカイバリ茶園が仕事はじめになるので、一緒に行かないか?」「もちろん行きます。」と即答。

日本にいる道子に連絡をして「すぐにインドに来なさい!!!」。10月5日に道子がとるものもとりあえずインドにやってきました。

今回の茶園訪問は、ラジャ・バナジー氏から、すごい人生のドラマをみせていただき励みになった日々だったこと、多くの思いもかけない、ありがたい偶然が次々におこったことを、このブログでお伝えしたいと思います。どれだけお伝えできるか心細いですが、よろしくお願いします。


道子がハッピー・ハンター・バッグをもってやってきました。
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今日の夜はデリー飛行場近くのホテルに宿泊。昨年エコツアーの皆さんが宿泊されたレモンツリーにしました。
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デリー国内線第2ターミナル。近代的になり、昔の飛行場を知っている私には違和感あり。
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チェックイン後 ダージリンで使用するインド使用ソケットを購入。日本の電気店と見間違いそう。
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出発まで時間があるので、まずはビールで乾杯!!
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2人同時に口からでたのが「ドサ!」。南インドの食事。皮の材料は米。中身はインドカレー味のポテトサラダ
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レイアウトで飾られれている伝統的インド台所グッズ
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ダージリン・バグドグラ空港行は満席。やっとこのティケットが購入できました。10月19日のインドのお正月ディワリ前なので、ストライキが解除されたダージリンに多くの人々が戻られているとのことです。ティベットのお坊さんも大勢搭乗されていました。
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2017年10月 4日 (水)

デリーの日々9 デリー・ゴルフ・クラブで食事

日本語で思いっきり会話をしたい時には、このゴルフクラブにきます。周りはほとんどインド人ばかりです。雰囲気がよいです。残念なのは会員がいないと利用できないことです。


「ナスカワ日本語センター」の名須川さんご夫妻とハッピーハンターで研修中の中村正人さん
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お酒を飲むバーから食堂に移動。おいしいインド料理をたくさん注文しました。
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練習場は夜でも開いていました。
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デリーゴルフクラブはイギリス統治時代にイギリス人によってつくられました。遺跡をレイアウトにいれたゴルフ場です。名門です。月が美しかったです。
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3日ほど前にスマホを石の上におとして充電できなくなりました。デリーにあるアップルショップにもっていきましたが「修理不能。新品を買いなさい。」とのこと。今、日本から届くカメラを待っているところです。

ダージリンのストライキがとりあえず解決しましたので、6日からダージリンに行ってきます。

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2017年10月 1日 (日)

デリーの日々 8 ラジャ・バナジー氏妹アナンニャと食事


このブログに何度も登場しましたアナンニャと昼食を一緒しました。彼女はマカイバリ茶園主ラジャ・バナジ―氏の妹です。マカイバリ茶園で育ちました。若い時にフルブライトの留学生としてアメリカでの教育を受けています。
大学卒業後はインドのドルダルシャン(国営テレビ局)で、ジャーナリストして活躍し、取締役にまで昇進しました。
私とは18年前からの付き合いでインドでの大事な友人の一人です。

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カン・マーケットの中に最近できたスープをメインとしたレストランで昼食を彼女にご馳走になりました。
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カンマーケット創設者カン氏とその周りの人たちのイラストが、壁画として描かれています。おしゃれです。
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彼女は、普段忙しくて買い物ができないとのことで、カンマーケット内の通り道の店で靴を²2足買いました。
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今日はダシェラのお祭り日でした。ドルガプジャの一行が通ります。日本の神輿のようです。
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信号待ちしていた時に、物売りの男の子から布巾を気軽に買います。今日はお祭り日なので「彼らにもよいことがあるように」ということでした。私は道での物売りから買ったことはありません。
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ベンガルマーケットで薬を買うのでついて行きました。スマホを提示しながらの薬買いです。アナンニャは、買い物は自分の生まれ故郷の人たちが集まってつくったこのベンガルマーケットで長年買い物をしています。どの店の人とも顔なじみです。
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最後にハッピー・ハンターに行き、2時間ほど、カフェでおしゃべりをしました。マカイバリ茶園内敷地にある実家の火事は人生での最大の悲しみだったと話してくれました。3日間洋服も着替えず過ごし、何をしていたのか記憶にないそうです。彼女は独身なのでお手伝いさんがよくしてくれたそうです。その後茶園に行き、燃えた家の残骸の中でいろいろなお祈りしてきたと言っていました。アナンニャの部屋もあり、彼女が大事にしていた多くの本が燃え尽きました。たくさんの話を聞きました。

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