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2018年8月30日 (木)

デリーの日々(4) 通信手段 お手伝いさん そのほか 今昔

私は1978年から1982年夫の商社駐在により家族でデリーで生活をしていました。その頃の通信手段は電話と手紙でした。国際電話は非常に高かったです。国際電話を予約して4~5時間ほど経過して、つながるのでした。時には翌日の夕方に突然「国際電話がつながりました。」と連絡がきても、何を話すのか一瞬忘れたこともありました。懐かしき1978年時の電話機。
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ところが今では、インドと日本はLINE(ライン)で瞬時に無料で繋がります。インドの人は、ラインは使用せずWhatsApp(ワッツアップ)です。インドの人と話す時は私もワッツアップで話します。隔世の感があります。


1978年無税で通関を通すのが大変だったソニーのテープレコーダーが暖炉の上にあります。そういえば冬が近づくと煙突掃除人を頼んでいました。デリーの冬は朝晩10度前後まで気温が下がり、寒いのです。夕方になるとお手伝いさんが暖炉に火をくべてくれました。ほんのりと家中が温かくなりました。暖炉の左横にあるエアコンもその当時貴重品でした。大きな音でうなっているエアコンでしたがよく効きました。今では全室にダイソンやパナソニックの冷房のみのエアコンが取り付けられています。最近停電は少ないです。
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昔のロディ公園内の写真です。今はきれいに整備されています。
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現在我が家で働いているお手伝いのキランと犬の「しろ」 。1978 年から1982年代はカース制度が日常的にまだ厳しく残っている頃でした。料理人 ベアラー(料理を運んだり、床から上の仕事をする)ドービー(洗濯専門)スイパー(床掃除、床拭き、ゴミ捨て)子どものいる家はアーヤ(乳母)と最低5人は雇う必要がありました。現代は1人でなにもかもやってもらいます。インド日常生活では日本に比べて今でも不便が多いですし、雇用の意味でもお手伝いさんは必要だと思います。良い人に巡り合うことが第一条件ですが・・・。
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