カテゴリー「インド:多様性」の2件の記事

2007年2月23日 (金)

チャルカで糸紡ぎ

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリジャパンの
インド駐在日記。


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私のきまぐれな趣味の一つに、”糸紡ぎ”があります。


もともとは京都で習いました。
手に伝わる振動、微妙な力加減によって細くも太くもなる糸に、
すっかり虜になってしまいました。


インドで、是非チャルカ(糸車)で糸を紡ぎたい、と
デリー中、チャルカを探し歩いたのですが、
私が求めていた車輪のようなチャルカは手に入りませんでした。


そして、ようやく手に入ったのが”携帯チャルカ”でした。

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携帯チャルカ (閉じた状態)

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携帯チャルカ (開いた状態)


いつでも、どこでも糸が紡げます。
コンパクトなのに、必要な機能はすべて揃っていて
なかなか優秀。


このチャルカは、マハトマ・ガンディーのアシュラムで購入しました。
インドを独立へと導き、現在でもインドの人から慕われる
マハトマ・ガンディーは、平和なインド、そして世界を実現するために
人生を尽くしました。


ガンディーは、自ら糸を紡ぎ、「カーディー」と呼ばれる、
手紡ぎ綿の腰布(ドーティー)だけを巻いていました。
ドーティーは、農民や貧しい人々の装いで、
ガンディーは自らが彼らと同じ装いをすることで、
インドの貧困問題を伝えようとしていたのです。


そして、チャルカを広めることで、インド国内で売られる
産業革命によって大量生産されたイギリスの綿製品への非買運動を行い、
スワデシー運動(インド製品を買うこと)を広めることで、
自給自足のインドを目指したのでした。



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右手で糸車をまわし、左手で綿の引き加減を調節します。



すべての神経を集中させないと、スルスルっと糸が切れてしまいます。
聞こえるのは、ガラガラとうなる糸車の音だけ。


糸を紡ぐ時間は、仕事のことも、日常のことも何も考えない。
とにかく良い糸を紡ぐことだけを考える。


あぁ、なんて贅沢な時間なんだ、と思うと同時に、
ガンディーが言いたかったことが、うっすらと分かったように思いました。


ガンディー・アシュラムでは、毎朝チャルカで糸を紡いでいるそうです。
糸紡ぎでの精神統一は瞑想にも似ています。
精神をコントロールすることは、自分自身をコントロールすること。
エゴから生まれる闘争や差別が少しでも消えるように、と
ガンディーはチャルカにメッセージを託したのではないかと感じました。



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時間がある時に少しずつ紡いでいます。
いつか、草木染めして、マフラーを織ろうと思っています。


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後日、探していたチャルカが見つかりました。


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グジャラート州の農家で使われていたチャルカ。
60年ほど前のチャルカで、アンティークです。
ガンディーの時代にも、使われていたのでしょうか。



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細部にまで彫刻がしてあります。

せっかく買ったのですが、糸を紡げるまでに手を加えないといけないので、当分は眺めて楽しもうと思っています。



マカイバリ茶園アジア・日本総代理店マカイバリジャパン

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2006年12月28日 (木)

インドなクリスマス:ナガランド

インド・ニューデリーからお届けしているマカイバリジャパンの
インド駐在日記。

インドなクリスマス第1日目
12月23日

私に記念すべき友達ができました。

何が「記念すべき」か、と言いますと、
生まれて初めて「ナガランド州」出身の友達ができたのです。
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画像をクリックすると拡大します。


ナガランド州はインドの北東部。地図の右端です。
ミャンマーと国境を接しています。

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私の新しい友達となったエリザベス(左)。
JNU(ジャワハルラル・ネルー大学)の博士課程で、女性学(特に、ドメスティック・バイオレンス)について研究しています。

エリザベスと出会えたきっかけは、マカイバリ茶園に5ヶ月滞在し、先日デリーに戻ってきた倉重暁さん。暁さんが親しくしていたカーシオンの友人の友人がエリザベスだったのです。


今日はエリザベスのいとこ、ノエルのお誕生日パーティー。

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日本人にそっくり!


インド北東部にはモンゴロイド系の人々が多く、国境も様々な国と接しているので、
「インドの人=濃厚な顔」
とはまた違った人々が住んでいるのです。

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生まれて初めてのナガランド料理。
左からダール(豆カレー)、茹でたほうれん草、筍の炒め物、豚のカレー、薬味。

豚のカレーと言っても、ナガランドの特産「アニシ」と呼ばれる香辛料で味付けしてあり、塩っ辛いのが特徴です。また、ナガランド料理では塩茹でした野菜を毎食食べるそうで、緑の湯で野菜を必ず添えます。



実は・・・私が抱いていた「ナガランド州」のイメージは、もっともっと原始的なものでした。デリーに入ってくるナガランド州の情報と言えば、ほとんどが民族衣装だったり、工芸品のようなもので、そこに飾ってある写真も、森の中で民族衣装を着た人が写っているものでした。


ですので、最初彼女の名前を聞いた時、「エリザベス・・・???」と思ってしまったのです。まったくの勉強不足でした。


エリザベスによると、ナガランド州には数多くの部族の人が、今でも伝統的な生活スタイルで生活しています。それぞれの部族には母語があり、同じナガランド出身者でも言葉が通じないことが多々あるようです。様々な部族が生活するナガランドですが、その住民のほとんどは、1800年代にイギリス人の宣教師によってキリスト教に改宗しました。その後、イギリス植民地下の影響もあり、ナガランドの公用語は英語となっているのだそうです。


新しい友達ができた喜び、そして改めてインドの大きさ、その多様性、歴史を学んだクリスマス第一日目でした。


ナガランドの詳しい情報は
ナガランド州政府公式ページでどうぞ


マカイバリ茶園アジア・日本総代理店マカイバリジャパン

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